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ここは、テクニカルショップの経歴と技術的特徴 のページです

 テクニカルショップの略歴 

★テクニカルショップ

 テクニカルショップは日本で最も古くから営業していますボウリング用品専門店のひとつで45年以上の経歴を有しています。1967年創業です。
 
現在まで50年以上に渡り、ボウリングに付随するドリル、コーチ、トレーナー業務、メンタルトレーニング等のノウハウの研究に励んで参りました。
 現在も奈良県に於いて、
アメリカからボウリング用品を取り寄せる業務と共に、ボールのドリル・プラグ・表面加工・オイル抜き等のプロショップ業務も行っています。
 ここに、テクニカルショップのこれまでの経過と、当初から現在まで経営に携わっている、ボウリングボールのドリラーであり、ボウリングのインストラクターでもあります
高坂 健司(たかさか けんじ) の簡単な履歴をご紹介いたします。

★ボウリングに携わるきっかけ

 1961年、私が高校に在学中に、日本で初めて、オートマティックのピンスポッター(ボウリング マシン)を導入した、第一号のボウリングセンターが、大阪市北区にオープンしました。その時に私は同級生(後に彼はプロボウラーになられました)に誘われて初めてボウリングを経験しました。
 大学に進学してからは、自ら大学のボウリングクラブの創設に加わり、又、関西学生ボウリング連盟に加入し、役員として連盟のお手伝いをさせて頂きました。又、大学在学中は、日本の各地にボウリング場が開設された時期で、その内の数件の開設のお手伝いをし、学生アルバイトとして勤務し、ボウリングの練習ゲーム代を捻出しました。
 ちなみに、当時ボウリングのゲーム代は1ゲーム250円でした。バイトの給料は、1時間100円で5時間バイトし、その収入で、ボウリングの練習を2ゲームして帰る毎日でした。
 当時の日本では、ボウリングの知識に詳しい人は皆無の状況でした。私はアメリカの専門誌を入手し、辞書を片手に読み漁り、投球の技術、ドリルの技術の研究を始めました。当時は学生アルバイトながらも、実際に、今思えば、無知で失敗もありましたが、ドリラーとして、インストラクターとしての業務に携わりました。又、その他、ボウリング場のあらゆる業務に携わり、その後、それが自分の職業となってしまいました。

★ハリー・ヒグラシ氏との出会い

 大学を卒業当時、アメリカのロスアンゼルスでプロショップを経営されていた日系二世のハリー・ヒグラシ氏が来日されて、ドリリングスクール開設、生徒の募集をしていましたので、私は早速受講しました。第一期生はたった2名でした。ハリーヒグラシ氏とは、その後の数年間、アメリカに帰国されるまで、友人としてもお付き合いさせていただき、ドリルの知識や技術だけでなく、ドリラーとしての心構えを教わり、私のドリラーとしての基礎を築いて頂きました。それだけでなく、特に、私が氏に同行して渡米した折は、単なる観光旅行では経験できないアメリカ人の、又日系二世の考え方、アメリカ文化のさわりにも触れ、それらの経験等も、その後の私の考え方に多くの影響を受けました。

★粕谷三郎氏との出会い

 粕谷三郎氏は日本のプロボウラー団体の創設者の一人であり、プロ第一期生の一人であります。ボウリング界に多大な貢献された方でした。早くからアメリカのボウリング界と交流され、特に人材の発掘と適切な登用、と言う面では並ぶ人は思い当たりません。お若くして他界され、残念な気持ちでいっぱいです。
 私が上記のドリリングスクールを卒業当時、粕谷氏は東京の高田馬場の早稲田ボウルの役員として営業に参加されていらっしゃいました。私が学生の頃、アルバイト先のボウリング場に粕谷氏が来場された際にご挨拶し、面識がありましたが、その粕谷氏から、早稲田ボウルの場内に設けられていた「カスヤ プロショップ」のドリラーとして就業のお誘いがありました。
 そして、私は約2年間、そこでドリラーとしての研鑽を積みました。又、当時、日本で初めてのインストラクター・スクールが開催され、その時にインストラクターの資格も得ました。
 ちなみに、そのインストラクター・スクールの講師はアメリカのボウリングマシンメーカーのブランズウイック社所属の有名なバドワイザーチームの監督のホワイテー・ハリス プロでした。
 その当時、日本のプロ協会によるプロテストも始まり、プロテストにもお誘いを受けましたが、当時はプロボウラーとドリラーの兼業は出来ないということでしたので、私はドリラー・インストラクターの道を選びました。
もちろん、その後、ボウリング業界も変遷をたどり、現在ではプロボウラーの多くがドリラー・インストラクターを兼ねる様になりましたが、私はそれらの変遷の過程については把握していません。
 さて、この期間に私はプロショップの経営についても大いに学ぶことができ、その後、粕谷氏には、大阪空港ボウルのテナントを仲介していただき、大阪で自分のプロショップを経営するきっかけを作っていただきました。色々と大変お世話になりました。

★テクニカルショップの創業

 テクニカルショップの創業は1967年に大阪府豊中市の 「大阪空港ボウル」 内にテナントとして開店、ボウリング場が閉鎖される間際まで、約10年営業いたしました。その後、同時期に、又時期が相前後しますが、兵庫県西宮市の 「阪神甲子園ボウル」 内にテナント、神戸市東灘区の国道沿いに「独立店舗」、兵庫県芦屋市の「芦屋ボウル」内にテナント等、数件のボウリングプロショップを経営、又、ボウリング場やボウリング関係業者の業務(ドリル、コーチ、ドリラー養成講座、他)をお手伝いさせていただきました。
 又、その頃、テクニカルショップ主催のトーナメントや、5人チームのリーグ戦を開催したり…と、本当にボウリングが楽しい時期でした。

★ボウリング業界の好況期、不況期

 日本のボウリング業界は、東京オリンピック、大阪万博の時期の日本経済の上昇に伴い、1972年当時まで絶好調でした。色々な業種の会社がこのブームに目をつけて業界に参入、各地にボウリング場がオープンし、極端な例ではボウリング場の隣にボウリング場が出来ると言う状況でした。又、朝の5時から早朝ボウリングにお客様が行列をなし、休日、特にお正月やお盆にはボウリングのプレイをするために5~6時間待ちが当たり前と言う時期がありました。
 その後1973年のドルショック、1976年のオイルショック等で日本経済は不況に陥り、又ボウリング場の数が多すぎ、過当競争で、ボウリング場の閉鎖があいつぎ、ボウリング業界も不況に陥りました。
 テクニカルショップもこの不況の影響と、ボウリング業界の不振のために、一時期、業界から離れたこともありましたが、
現在まで50年以上に渡り、ボウリングに付随するドリル、コーチ、トレーナー業務、メンタルトレーニング等のノウハウの研究に励んで参りました。

★新たな出発、大阪駅前ビル店

 その後、日本経済、ボウリング業界が不況期からの回復を感じた時期に、これまでとは違う形でのプロショップを立ち上げるべく計画、1988年より2003年まで、「大阪駅前第二ビル2階」に店舗を構え、アメリカからボウリング用品を輸入し、ボウラーの皆様に高品位な用品を高レベルのドリルと共に提供させていただきました。又、店内に喫茶コーナーを設け、ボウラーの皆様のつどいの場とさせていただいていました。
 開店後は、叙々にボウリング界も好況となりテレビでアメリカのプロツアーが放映されたこともあり、やがて第二次ボウリングブームか?と思われる時期の到来で、テクニカルショップもドリルにあけくれる毎日でした。当時の日本の経済の好況で、国民全体がお金に余裕がありましたので、テクニカルショップのドリルの評判をお聞きになり、北海道から沖縄まで各地のボウラーの皆様にご来店戴きました。

★ボールの素材革命

 このブームのきっかけの一要因は、スコアー(点数)の計算にコンピューターが導入され、初心者もボウリングを簡単に楽しむことが出来る様になった事だった様ですが、中級者・上級者にはボウリングのボールの材質とレーンの表面の材質(コーティング)に、新素材のウレタンが導入され、ボールの曲がりやピンアクション良くなり、それまでよりストライクが出やすくなり、スコアーのアップに繋がったからではないかと思います。
 更に、それまでのボウリングのルールでは、1個のボールでゲームしなければならないと規定されていましたが、そのルールの改定で、複数個のボールを使用できる(ゲームの途中で違うボールに変更できる)様になったことがレーンコンディションの違いに簡単に対処出来、ボウラーのスコアアップに繋がった、と言うことも大きな要素であったと思われます。
 その後も、アメリカでは素材革命で
、ボールの材質にリアクティブウレタンが導入され、驚異的なスコアが続出、アメリカのボールが人気となり、ボールを輸入して通販していました関係で、テクニカルショップでは通販が忙しくなり、通販が業務の大半を占る様になってしまいました。
 又、一般のボウラーの関心は、ドリルよりも、次々と性能が高められた新製品のボール自体へと移行して行きました。テクニカルショップ大阪駅前ビル店は約15年続けさせていただきましたが、奈良に移転する前2-3年はドリルしないで発送する通販のボールの梱包と伝票の作成が主な仕事となってしまいました。その様な状況で私もドリルに対する情熱が低下してしまいました。

奈良の山地に通販専門店

 以上の様なボウリング界の変遷で、通販を主体の営業を考えると、大阪駅前店の高額なテナント料の要因もあり、通販であれば、倉庫と電話があれば営業でき。本格的な店舗は必要ないと考えました。私は都会育ちの身で、以前から「いなか暮らし」にあこがれていたこともあり、奈良に引越しました。
 
引越しの理由の中に、ボウリングとは全く関係がないことも含まれていました。その頃、大阪の居宅で、捨てネコを多数保護することになって、そこでの保護が限界になっていて、その保護場所と施設を探していたのです。通販と住まいと、ネコの保護を兼用できそうな場所を、田舎暮らし専門の不動産業者の仲介で、全く何の関係もなく、知らない土地に引越しをしたのです。
 以上の理由で2003年より現在までは奈良県にて、大阪駅前店に引き続きアメリカからボウリング用品を輸入し、ボウリング用品の通信販売に主力を置き、無店舗販売で、日本では一般化していなかった用品と、アメリカの最新のボウリング技術の普及に努めて参りました。その間も当地までご来場いただけるお客様には、テクニカルショップの長年の経験と研究を生かしたドリルをさせていただいておりました。
 又、ご来店ドリルだけではなく、日本各地のボウラー様のご都合の良い、ドリル技術の重要性がご理解頂けるボウリング場様や、ボウラー様のご自宅、又その他一連の作業が可能な場所まで出張ドリルにお伺いさせて頂きました。

★テクニカルショップのドリルの特徴

 テクニカルショップのドリル内容と手順の詳細は
  
テクニカルショップのドリルの手順のページ
                    をご参照ください。

 お客様に当店のドリルの全過程を完全にお受け戴ければ、必ずそれ以前のボウリングの知識と技術の飛躍的な向上を獲得して頂けると思います。すぐに成績に結びつかない場合でも、当方のアフターサービスにより、必ず成績も向上して戴けます。お客様のドリルをさせて頂く如に、又お客様からご報告を戴き、さらに改善を模索することで、お客様ばかりではなく、当方の技術も、更に向上して参りました。

★ドリルの重要性とスイッチグリップ

■詳細はドリルの重要性のページをご参照下さい。

大阪駅前店当時は現在の様にスイッチグリップは存在していませんでした。

ちなみに、その当時テクニカルショップではスイッチグリップを考案…現在市販されている様なシステムとは異なったもので、設計図まで完成していましたが、製作段階の諸経費の点で完成しませんでした。

スイッチグリップが存在していない状況では、お客様はボールを購入される如に、その都度、指穴のフィッテイングのためにご来店が必須の要件でしたので、同じお客様にも、北海道から沖縄まで日本全国から何回もご来店頂きました。経済的な余裕の時代であったとの理由もあるかも知れませんが、テクニカルショップのドリルは他店では得られない握りごこち投げごこちを獲得頂けるとの理由で、その都度のご足労をいとわずにご来店いただいたのではないかと感じております。それ程、ドリルが重要であると言うことを断言したいと思います。

さて、日本のバブル崩壊以後、特にリーマンショック以後の現在までの経済状況では、交通費や所要時間を考えると、遠方より何度もご来店いただくことは、多くのボウラーの皆様にとっては、難しい事になってしまいました。

ちなみに、もし、その大阪駅前店当時にスイッチグリップが市販されておれば、ドリルの度にご来店が不要で、一度のご来店でベストなドリル穴が完成すれば、以後購入されるボールのドリルは他店では得られない握りごこちと投げごこちを持続出来、お客様は更なる技術向上が可能となったと思われます。テクニカルショップの営業の展開も、違う状況が生まれたのではないかと思います。

ボウリングの真のおもしろさ

 現在、多くのボウラーが成績や投球技術の頭打ち、マンネリ化、又手首や指、肘や膝の障害で多くのボウラーがボウリングから離れてしまう遠因は、ドリルにあることをご本人さえ気づいていらっしゃらないのですが、その時にスイッチグリップと良いドリルと適切なアドバイスがあれば、多くのボウラーがボウリングの技術的向上の面白さを知って、ボウリングから離れるボウラーはもっと少なかったのではなかったか…と、残念に思っています。
 もちろん、コーチを受けることや、フォームの練習や筋力やメンタルのトレーニングにはつらい側面もございますが、それを乗り越えることができたら、ボウリングの真の面白さをご理解戴けると私は考えています。
 ボウラーそれぞれは面白く感じる要素が異なるとは思いますが、私の場合は競技と言う側面より、ボウリングのメカニズム=施設、つまりレーンとピンとボールの寸法や重量の関係の
アヤ、人体のメカニズムとボウリングする場合に於いての、その使い方を発見し、又他のスポーツでは得られない心理的状況に興味を持ちました。又、得点のルールなどの面白さも含めて、どんな人がこのスポーツを発明・構成したのかと?感心しています。ほんとうに奥の深い、すばらしきスポーツではないでしょうか?

★テクニカルショップの現在の業務内容

 ■テクニカルショップでは、ボールのドリル、及びドリルに付随するメジャー(指穴の大きさや指の長さ、骨格を採寸する作業)、フィッティング(ボウラーの手指に合わせて指穴を整形加工)、ボールの表面加工やメンテナンスもお受けしています。業務の手順等の詳細はドリルの手順のページをご参照、又はお問合せ下さい。

 ■テクニカルショップでは、初心者からプロボウラーまで、あらゆるボウラーの投球技術の指導もお引き受けしております。業務の内容、手順はお問合せ下さい。

 ■テクニカルショップではドリラーやインストラクターの技術指導もお引き受けしております。ドリラーやインストラクターの養成講座もお受けしております。詳細はお問合せ下さい。

 ■テクニカルショップではプロショップやボウリング場の、経営企画コンサルタントも、お引き受けしております。詳細はお問合せ下さい。

★テクニカルショップの今後の展開目標

 当初からの目標は、一つのボウリング場、一地方のボウラーだけでなく、日本全国のボウラーのレベルアップに貢献することであります。
 「ボウラーの皆様に集まって頂き、ボウリングの知識や技術を学んでいただくボウリング教室」や 「ドリラー・インストラクターの技術向上講座」の開催を手がけたいと考えております。過去には熱心なボウラーの皆様に集まって戴き、これら教室や講座を開催していた時期もありましたが、この様な熱心な、技術的な知識の向上を望まれるボウラーは少なくなってしまいました。これも世相の変化でしょうか?
 当方の趣旨にご賛同、ご理解いただき、私の経験と技術を生かしてやろうと言っていただける関係者様、ボウリング場のオーナー様、責任者様はご一報お願いします。
全国何所へでも、テクニカルショップのドリルのデモンストレーションにお伺いします。ご連絡お待ちしています。
 
良いドリル、良いコーチ、良いプロショップはボウリング場様の集客力の強化にも繋がると考えています。
 地区で一番の技術のドリラー、プロショップを目指したいとお考えの方もご連絡下さい。
 プロボウラーになって、PBAのツアーに参加することを目指す若者が現れることを期待しています!

               たかさか けんじ

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